彼女の歌のルーツは、幼少期から父の影響で聞いていたクラッシックと洋楽ポップス。そして子供の頃に行っていた日曜学校のゴスペル。意味もわからず歌っていたビートルズやサイモンとガーファンクル、ローティーンで夢中になったハードロックとプログレッシヴロック。そして歌うことで全ての悩みが解決することに魅了された子供だった。

15歳で弟子入りしたプログレッシヴロックの先生から教わったソウルの世界。彼はロックだけでなくオールラウンドな音楽の知識とリズムと耳がなければ音楽の世界ではやっていけないことを彼女に教えた。Jimi Hendrix, Janis Joplin, Aretha Franklin, James Brown, Bonnie Raittが彼女のアイドルとなっていった。

そして音楽を続けるならば英語は必須と信じアメリカに高校留学をする。

たった一年間の留学ではあったが、英語でコミュニケーションできるという大きな財産を得て帰ってきた。また留学中には環境に恵まれ、結婚式で歌う仕事を経験した。

作詞作曲や創作に意欲を燃やすなか、社会の仕組みや世間を知ろうと普通の大学に進む。音楽以外の友人から刺激を受ける。同時にハウスバンドやバックヴォーカルの仕事に多数参加する。学生時代には、先ごろなくなったNancy Wilson にニューヨークのブルーノートに会いに行き歌を聞いてもらってアドバイスをいただいたり、地元でセッションするHiram Bullockに会いに行って質問攻めにしたりと無謀で猪突猛進な音楽娘だった。

その後も多くの経験を重ねながら、学生時代はあらゆるバイト、また卒業してからは某大手保険会社に勤務したり、某国際電話会社に勤務したりしつつ音楽での経験を積んだ。

途中20代前半で大事故に遭いほぼ全く歌えない時期を2年ほど経験し、そこから身体を元に戻し、以前よりも良く歌えるようになるよう、試行錯誤しながら自ら訓練した。そうして復活したことを、現在のヴォイストレーニングのレッスンで教えている。

アメリカ人の日本で活動するミュージシャンと仕事をする中で、自分に足りないものをもっと埋めたいと熱望するようになった頃、再度大きな交通事故に見舞われる。この時はさすがにかなりピンチな気持ちで立ち直ることがなかなかできなくなってしまった。その時、以前から大ファンでレッスンを受けたいとずっと熱望し、メールを送り続けていたTuck and Patti のPatti Cathcartからレッスンを受けに来るように連絡が来たのである。

そこからPattiとの二人三脚で、もう一度シンガーMicciの立て直しが始まった。

音楽に対する情熱と作曲家としての実力をMicciはTuck and Pattiに認められ、世界に向けて楽曲を発表するプロジェクトが2015年から始動した。

長年にわたるレッスンを経て、今、最愛の師Patti Cathcart プロデュースのもとアルバムを制作、リリースは間近である。